生きてるだけで愛

人はみんな分かり合えないって、ずっと一緒にいたって全部わかるわけじゃないんだって、そんなことを分かって欲しかったんだよ

 


津奈木の表面的な他人との付き合い方、感情を大にしてぶつけられても体力を消費しないように疲れないように曖昧に軽い「ごめん」と「そっか」、「うん」で済ます。毎日のうんざりする生活も仕事もそつなくこなす。津奈木の表情から見え隠れする感情も言葉として明確に分かるわけでもない。それだけど鬱屈した感情。やりきれなさ。目に見えて酷いのは寧子だけど私はこの津奈木の方が痛々しく見えた。

 


寧子の歯止めの効かない感情、前半の津奈木との手袋のやり取り、「どうして私が手袋付けてって言ったか分かる?」多分それは寧子にもちゃんと分かってなくてたんに寂しいからとかじゃないんだろうな。朝起きれなかったり、ブレーカーが落ちてしまったりそんな側から見たらちょっとした事でも上手く生きられない。

 


いきなり走り出したくなったり、叫びたくなったり誰しもあると思う。心の中では寧子みたいに叫んだり暴れたりしてるけどそれを隠して私が我慢してやり過ごせばこの場は収まるしなって津奈木みたいに疲れないように生きてる。映画ではこのことを2人の人間として分けられていたけどこの2人はお互いに必要だったから一緒にいたし、いられる。それは人間同じことなのではないか。相反する感情があるからこそその部分を愛くるしいと、もっと分かりたいと思いながら他人を求めて生きてしまうのかな。

 


生きてるだけで愛、殺伐としたイメージがあった題名だけどそんなことなくて包み込んでくれる優しさがあった。2人の生き様が妙にリアルで心が苦しくもなるけど。なんでこんなに生きてるだけなのにしんどいんだろう。疲れるんだろう。誰かといるとなんだか見つかっちゃったような気持ちになる。あぁ、ここでも見つかってしまった。逃げなきゃ、1人でなんでも出来たら楽なのかな、疲れないのかな、そんなこともないだろう。結局は他人と関わらなければならないからね。みんなと仲の良い他人でいられたら楽だろうな。

 


私は私と別れられない、わたしには寧子を理解することは出来ないけど、スーパーの帰り。煙草に火ぐらい付けてあげたかった。私の理解なんてその程度のことなんだろうけど。最後の屋上からのシーン、とても清々しかった。

 


ほんの一瞬でも分かり合えたら、分からないことを分かれたら、それはとても幸せで、素晴らしくてその事のために生きてるって台詞、これには参ったな。